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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

雲南大理



「昔はワインかビールを」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南昆明の写真を公開しています。

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今から5年前の午前11時35分発のMU5802便、
私は昆明行きに乗り、昆明空港へ向かっていた。
その日の上海の天気は2度、だが昆明に着くと23度だった。
中国は広い思いながら着ているセーターを一枚脱ぎ捨てた。
昆明の人口400万人の大都市で26の少数民族がいる。

フライトから30分ほどして飲み物が来た。昔はワインかビールを、
何倍もお代わりしたが、今では気圧の変化で頭痛が激しく、
もっぱらトマトジュースかお茶にしていた。
写真は機内食であるが、結構良い味がしていた。
昆明への旅、空港へ着いてからまずはコーヒーを飲んだ。


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昆明市は二千四百年の歴史があり雲南省の中心である。
1999年に花博覧会が行われた事により昆明の名が有名になった。
昆明の年平均気温は15℃と穏やかで、夏の酷暑は少なく、
冬に厳寒なしと旅行の紹介文にはあるがその通りである。

その昆明に着陸したものの、誰が私と共のツアー客なのか、
今改めて5年前の画像を見ると当時のツアー客の顔が見える。
懐かしい光景でも有る。空港に着いてより、
荷物を取るところの画像をアップした。


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「私の名前はローマ字で書かれてあった」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南昆明の写真を公開しています。

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今回は、中国へ来てより初めて中国人と団体旅行にした。
上海より、雲南の首都である昆明での現地集合である。
荷物を引き取る前に、旅行社の出迎えを探した。
私の名前はローマ字で書かれてあり直ぐに見つかった。
上海で申し込み時点パスポートのローマ字が生きていた。
現地集合の人は、全部で23人で中型バスで丁度だった。
最初に向ったのが、1999年に開催された世界花博覧会の、
正面入口に向って右側の「中国EXPO」の花文字を画像に収めた。


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下記の画像は1999年世界花博覧会のエキスポ会場の、
正面玄関であるが、パビリオンは廃墟となっているようだ。
丁度写真を撮っている途中から、雨が降り出した。
昆明での雨は、7・8・9月が多く、この2月の降雨量は少ない。
傘を持ってないので、た近くの博覧会の売店で傘を購入した。
バスは昆明の街中を次の目的地である昆明の東西寺文化街へ走った。
下のこの建物は、東西寺の塔と呼ぶのであるが、この場所へは、
このあと2回来る事になるとは、この時点では思ってもみなかった。


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「ショップの前に来て写真を撮った」

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金馬坊と碧鶏坊を見た後、昆明の裏通りを歩いてみた。
30分ほどの自由行動時間しかなかったが、街並みを歩くにつれ、
ちょっとしたショップの前に来て写真を撮った。
昆明の街のカジュアルショップで「可人服飾」
「可人ke3ren2」とは、「仕事の出来る人」とか、
「良い感じがする」または「人に満足を与える」の意味である。


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中に入ってみたが、トレーナーからジーンズまで、
若者向けのショップであった。そして下記の画像は、
「可人服飾」より30mほど行ったところにある民族衣装の柄を、
モチーフにしたワンピースやチーパオも、多く展示されていた。
アパレル関係の仕事をしている私にとってツアーの皆さんと、
入るところが違ったが自由に行動した。


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「昔の人の生活を垣間見たよう」

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自由行動の時間も過ぎ、待ち合わせ場所に行った。
待ち合わせ場所を間違えたのかと錯覚するほどに、
ツアー客は誰も来ていなかたのでブロンズの像を眺めながら、
昔の人の生活を垣間見ていたところへ集まりだした。
今回のツアー客は、北京から3組の家族で9名が参加し、
その他は上海の24名の人達であった。


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私のような「ひとり旅」は居なかった。
殆ど夫婦か家族かであり、ひとりの私を気遣って心配してくれた。
だが毎回時間に遅れるのは彼らたちであった。
自由行動をしていたツアー客の人達が戻り始めていて、
「心配していたんですよ!」と私に声を掛けてきた。
下の画像の右側の女性は、上海大学に通う息子と共に、
参加しているお母さんで、左側は上海で工場を、
経営されている3人家族で奥さんの姿が見えない。

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「旅行ガイドにマージンが入る仕組み」

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上の画像は、お茶と軽い甘菓子を売っているところで、
ツアー客の奥さんが、お金をバッグから出そうとしている所で、
右側に居る人がご主人で束の間の幸せそうな情況が漂うが、
この二人にも旅行中は、色々とお世話になった。
600人位の電子部品工場の課長さんとの事だった。
今回の雲南旅行の前に、雲南近辺の人とネットで交流して、
雲南のどこへ行けば面白いとか、景色が良いなどと教わった。


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そして旅行会社は出来るだけ使わない方が良いと言われていた。
なぜならば、土産物屋と提携を結んでいて、そこへ連れて行くと、
旅行ガイドにマージンが入る仕組みになっていると言う。
だが、結局その旅行社のツアーに参加して旅行した。
そして連れて行かれたのが「普耳茶(プーアル茶)」の売り場。
何室もの部屋があり我々はその1室へ通され、美味しいお茶の、
入れ方の説明を実演を受けながら見た。
出る時には両手に1200元(18000円)のお茶の葉を持っていた。


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「痩せたような気持ちになるから単純この上ない」

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始めはお茶を買う気も無かったのが、お茶の演技がおわり、
何杯も小さいグラスに入ったお茶を飲むうちに気持ちが、
段々と変化し部屋を出るときには、600元の缶入り茶を、
二缶も買ってしまい、始めから荷物だけ増え後悔した。
12月の健康診断にて、体脂肪が多く脂肪肝と体重も80キロを、
越えており、この雲南旅行に来る1ヶ月以上前より、
ダイエットに入っていたので、お茶を二缶も買ってしまった。


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ダイエットは食事制限を強いられ、辛い日々を、
送っている最中の雲南旅行だったが、脂肪肝と体脂肪が、
減るという謳い文句に衝動買いしてしまったが、何となく、
痩せた気持ちになるから単純この上なかった。
お茶に1200元も費やしそれも旅行第一日目である。
これから旅の道中、かさばる物を持って旅行せねばならない。
そう思うと自分の馬鹿さ加減に呆れるほどであった。
下記はブロンズ像で昔のお茶の収穫と納品の模様である。


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「体重が増えると、ろくな事はない」

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画像は買い物をして外に出た所で、そのお茶屋さんの入口を、
画像に収めたが、何となく人気がないと物悲しい雰囲気である。
その後のダイエットは80キロから68キロまでになり、
それなりに満足、だが最近では散歩も運動も食事制限もしてないため、
1年間ほどで、殆ど元に戻ってしまい後悔している。
体重が増えると、ろくな事はない。パソコンに向っていても、
腹のツッパリが気になるので、もう一度ダイエットをと、
思ったりもしながら当時の旅行での事を思い出したりする。


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昆明中心部の街並みの写真だが思ったより発展している。
一昔前の昆明の発展は遅れていたが、1999年の花博覧会前の、
1995年から昆明の街の改革が行なわれ、今の様相を造り出す。
昆明の発展のスピードも速い。わずか10年という短い年数だ。
だが、街の中心街では露天商が店を並べ、靴磨き屋さんの列が出来、
物乞いの姿が目に付き、まだまだ本当の意味での発展ではない。


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「自然が織り成すショーは60年に一度」

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観光バスを降りてより昆明市中心の金馬碧鶏坊へ行った。
南中国独特の鳥居風建築の坊は明代創建され、
すでに四百年ほどの歴史があり、昆明のシンボルである。
この坊は日没前の夕陽の陽光が碧鶏坊を照らしその碧鶏坊の、
影が地面に映えた時に月の光が金馬坊を照らし、
その影が西の地面に映え画像の金馬坊と碧鶏坊の、
二つの影が交わるということを聞いた。


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この自然が織り成すショーを「金碧交輝」というようで、
自然が織り成すショーは60年に一度見る事が出来る。
自然を利用したショーを成功させたのも中国古代文明の、
数学、天文学、建築学が生かされている。
だが、この建物は「文化大革命」の時代に破壊され、
花博覧会の1999年4月に金馬碧鶏坊を再建した。
金馬碧鶏坊は昆明の中心金碧路の交差点に位置する。

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「時間にはルーズな中国の皆さん方だったが」

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昆明から大理までは、飛行機ではなく寝台夜行列車だった。
一人旅であったら昆明から大理まで航空チケットを買うところだが、
中国人との団体ツアーであるので同行したが夜は眠れなかった。
寝台夜行列車は、日本ででも中国ででも初めての体験だった。
夕食は昆明火車站近くのレストランで取った。
結構他のツアー客も利用するのであろうか、大きな酒家だった。

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画像の右側に春という文字の飾り物が吊り下げられている。
この時の旅行中国の旧正月(春節)の中を旅したので、
どこのホテルでもレストランでもこのような飾り物があった。
私と行動を共にした中国の人達は私の後の方へ座っていた。
出て来た料理は画像に収められなかった。
時間にはルーズな中国の皆さん方だったが、
私が席に着いた時には撮影するどころか皆さんすでに、
料理に手を付けてしまっており、食べるのは実に早い。

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「撮影禁止なので注意深く撮影した」

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夕食を済ませてより、バスに乗り連れて行かれた先は、
昆明空軍医院中医理療中心であり、なんでこんな所へと思っていたが、
中に入り各病室を覗くと皆さん一斉に漢方薬を混ぜたお湯の中に、
足を突っ込んでいた。ここは撮影禁止なので注意深く撮影した。
私はカメラを構えず、自然に手に持ち、フラッシュは使わず、
回りを見渡しながら、レンズは被写体をしっかり向いている。
だが、殆んどの人は気付いていないようだった。


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偶に静かな部屋では、シャッターの音が聞こえるのでまずい。
画像は、足マッサージ前の栄養補給をしているところだろうか。
少しの時間内で撮影したが撮影禁止の為、胸がドキドキ!
私はこのような胸ドキドキの瞬間が好きだ!
それが譬え仕事であろうと、遊びであろうと同じである。
今までにも、どれだけ胸ドキドキを経験したかしれない。


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「一歩間違えば詐欺の領域に入るのでは」

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昆明空軍医院中医理療中心では、私の手首の動脈に指を押し当て、
脈をとること40秒ほどで、突然あなたの心臓には不整脈がみられます。
このままほかっておけば、心臓の病気で大変なことになりますよ!
そして、この薬を毎日飲み続けなさい。この薬の値段が高いようならば、
こちらの薬でも良い!と・・・、突然そのように言われて困惑した。
私は、昆明の女性ガイドを呼んで、今回の旅行は雲南の雄大な景色や、
世界遺産を見に来たのであって、薬を買いに来たのではないと話した。


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同じツアーの中国人達からも「そうだ!そうだ!」と声が上がった。
不満そうな目で私のレンズをにらむ中国人女性。
一人一人の脈を取り、診断を下し、高価な薬を提供していく。
私はこの2ヶ月前に中国上海の有名病院で健康診断を受けた後、
健康体で心電図にも何ら問題はなかったのに、
どうして不整脈と言い切るのか?と尋ねたところ、
私の経験は現在の医療機器よりも勝ると自信を持って言う。
スゴイ自信であるが、一歩間違えば詐欺の領域に入った。


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「薬購入を断ることが罪悪のようにも思えた」

「中国上海写真ライフ」では、
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昆明で世界迎賓広場(花博覧会)へ行き東西寺文化街へ、
そして訳の分からない内にお茶を買い、食事をした後、
昆明空軍病院で脈を取り、足を漢方薬を浸したお湯の中に入れ、
足マッサージしたが、薬購入を断ることが罪悪のようにも思えた。
その後大理へ向うために昆明火車站までバスで送られた。
待合室までの長い道程を歩いたような感じだ。
待合室へ行く前に、火車站の列車の時刻表を見た。


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大理へは昆明22時36分発→翌朝6時10分に着く予定である。
夜行列車は学生時代に北海道旅行の時、利用した事はあるが、
寝台列車は始めての経験であり胸が躍った為か眠れなかった。
中国人のツアー客は私が迷子にならないようにと、
気遣ってくれていたが、昆明火車站の2階が待合室であるために、
同じツアーの中国人の人達とその待合室へ向った。
待合室に来たものの人でビッシリ埋まっていた。


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「中々眠れずお菓子を何度も顔めがけて投げた」

「中国上海写真ライフ」では、
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待合室に入って15分もしない間に、列に並ばないと、
列車に乗っても場所がなくなるというデマが流れ、私にもそれを伝える。
そんな事は有り得ないといっても、皆は列の後へと並びだした。
大理までのチケットも手元にあり、そこにはベット番号まで書いてある。
何がどうなっているのかと並びながら撮ったズーム画像の一枚。
昆明22時36分発大理行き列車に飛び乗ったのは、
22時を少し回った頃だった。私の寝台番号は6号の1番中段だった。


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他の中国人より、ベットを替わってくれないかとの要望があった。
彼らは家族で来ているので、出来るだけ一緒に居たいとの話。
私は所詮、ひとりなので問題ないとチケットを交換した。
そして、6号車3番の中段に替わる事になってしまった。
寝台列車は初めて乗ったが、寝台が3段になっている。
ベットとベットの高さの感覚が狭いため、2段目に乗るときにも、
注意をしないと、夜中起きた時には頭を打つかもしれない。
しかし、隣りのベットの2段と3段目の女性のいびきが、
相当なもので中々眠れずお菓子を何度も顔めがけて投げた。


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「夜這いでもしているように見えただろうか?」

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昆明22時36分発大理行き列車は初めての寝台列車だった。
話し声や笑い声、いびき等の雑音が聞こえ、中々眠れなかった。
こんな時に酒でもあれば、気がまぎれもするがと思いながら、
ツアー客の中に酒を持っている人がいないか、ベットより降りたところ、
他の人も眠れないのか通路で立ったまま話をしていた。

結局、2時頃になっても3時頃になって、うとうとっと眠りかかると、
隣のベットの若い女性の大きな「いびき」に眠れない。
またベットから降りて隣のベットへ上っていき、身体を軽く揺り動かす。
3段目の人にも同じようにするが、知らない人が見たら、
夜這いでもしているように見えただろうか?
朝眠たい目を擦りながら、洗面所に行ったが人でいっぱいだった。


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「何時までも起きているからよ!」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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朝5時20分くらいに、あと50分ほどで大理に着きますから、
身支度をして下さいと車掌が大きな声で、各部屋へ言うが、
何かうわの空・・。そのうちに夜中中いびきを掻いていた隣りの、
ベットの女性が、速く起きて下さいと私の身体を揺り動かす。
私の心を見透かしたように、何時までも起きているからよ!と、
何とか列車が大理へ着く頃には身支度ができた。
外はどしゃぶりの雨だった。

昆明の花博覧会場近くで、折り畳み傘を買ったが、
これが役に立つことになった。
外に出ると一面にカラフルな傘の花。私は雨の中すぐに、
カメラを出しその場面を撮ったが、暗さの為手ブレを起こしている。


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「一度に多く取り皿からあふれんばかり」

「中国上海写真ライフ」では、
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大理駅に着いてより、傘の美しさに目を奪われ、
雨が降る中、また暗い中でもカメラを出し写真に撮った。
5枚のショット全て、手ブレが激しく上手く撮れなかった。
そうしている間に私と同じツアー客の人と、はぐれてしまった。
階段を下りて広場の両側に立つガイド達を探すのが、
探しても、雨のため中々探し出せなかった。


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全て旅行社の出迎えの人達だったが人数の多さに、
目を凝らすがまだ見ぬガイドは、どこか分からなかった。
それより先に来ていたツアー客の人が私を見つけてくれた。
必然と大理の女性ガイドも分かったので、朝食会場へと向った。
ホテルのレストランで、既に先客が有ったが大理の朝食を撮影した。
結構品数があったが、私はマントウ類は避け、過橋米線を、
三杯も食べ息をするのも苦しかった。
中国の人達は、一度に多くを取り、皿からあふれんばかり、
そして最終残してしまうから悪い習慣である。


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「ホテルのロビーで落ち合うことになった」

「中国上海写真ライフ」では、
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朝食を取った後、自分たちの泊まるホテルへ先に向かった。
荷物を部屋に置き、必要最小限の物を携帯し、8時半に、
ホテルのロビーで落ち合うことになった。
我々は4つ星ホテルと3つ星ホテルに分かれていたので、
毎回、時間通りに集まらず30分の誤差が生じていた。
上海でならマイナス1度か1度くらいであるだろうに、
こちら大理では16度の気温で、暖かく感じられた。
ガイドが少数民族の衣装を身にまとい現れた。
これから向うのは「大理城」である。


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「上は雪を表し、その下は花を表す」

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大理の人口は160万人で白族は110万人いる。
白族は花と虫を信仰し、各家の塀などに「風・花・雪・月」と描かれ、
頭の飾り物には、部分ごとに色々な意味があり、
飾りの一番上の部分は雪を表し、その下の飾り物は花を表し、
その半月の形は月を現す。

横に垂れる白のヒモは風を表し、独身の女性の付けるヒモは長く、
結婚した女性は短めになっている。頭飾りの「風花雪月」について、
「風」は「下関風」、「花」は「上関花」、「雪」は「蒼山雪」、
「月」は「耳海月」、「風花雪月」の四文字は美しい自然のもと、
実体のない美しさを代表している。

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「この大理の民族衣装は白族が着る服装」

「中国上海写真ライフ」では、
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大理の天竜八部影視城本殿の中を観光した。
綺麗な民族衣装が掛けられていたが、その色の美しさは、
写真より色鮮やかに感じられた。
この大理の民族衣装は白族が着る服装で、
雲南の中でも華やか衣裳でもある。

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「大理の王族が着た民族服との説明」

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写真の衣装は、一般の人が着る民族衣装ではなく、
大理の王族が着た民族服との説明を受けた。
保存がしっかりしているのか、ひょっとしてミシンで、
縫製してないかと思い服の検査をしてみた。
4mm間隔で手縫いの縫製がしてあり綺麗だった。
この分は問題なしだが、その他の民族服は、
最近ミシンで縫製されたものだった。

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「なぜ門の守りが獅子ではなく象なのか」

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雨の大理天竜八部影視城中央の道路を歩き、
その奥に宮殿が建っている。その宮殿に入る第一の門の前に、
象の像が置かれているが、その奥に宮殿がある。
なぜ門の守りが獅子ではなく象なのか?


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インドの文化が入って来ているのだろうかなどと、
思いながらシャッターを切り辺りを散策した。
何となくインド文化やタイ文化の創りのようである。
この大理と言えば、大理石が取れることで有名になった。
また白族と大理古城・天竜八部影視城と三塔が知られている。


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「雨も手伝い更に寂しさに拍車を掛けていた」

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11世紀末宋代の中国大陸を舞台として造られた映画村。
大理天竜八部影視城の中の道の両脇に色々な店が並んでいた。
その殆んどが観光客を相手に土産物を作って売っていた。
この日は雨も手伝い更に寂しさに拍車を掛けていた。
この頃になると、中国人のツアー客は、私と共に行動する事に、
痺れを切らしガイドの言う待ち合わせ時間を念を押し、
それぞれ思い思いの場所へ散らばって行ったが、
私が撮影に忙しいと言っても、所詮集合場所に一番に到着し、
皆を待つのは、相変わらず私なのだった。


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「実に愛嬌のある表情をしている」

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大理天竜八部影視城の中に入り、
突き当りの宮殿の門を通り抜けると、春節(旧正月)でもあり、
赤の生地で綺麗に飾りが施され雨の中に映えていた。
本殿の手前両側には木で作られた幾つもの水牛が置かれていた。


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近寄ってその水牛の顔を見ていると、
実に愛嬌のある表情をしている。
この大理へは1150年ごろフビライが率いるモンゴル軍が、
攻め入ったことでも知られている。


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「霧が引いていく瞬間は実に感動である」

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大理映画村へ行ったが、あいにくの雨で、
ジーンズの裾から10cmが濡れて色が変わっていた。
ふと横を見ると、小雨の中でも陽が射し
自然の織り成す神秘な光景が現れ、
思わずシャッターを切った。
季節は冬でもあり、綺麗な光景が見れるのかも知れない。


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霧が引いていく瞬間は実に感動である。
しかし、せっかく写真を撮ってもその感動はつかめない。
大理天竜八部影視城の狭い建物の中から、外の風景を撮影した。
雨も手伝って物悲しい雰囲気が漂う。
15分ほどの時間で皆が下がるのを待って撮影した。
24mmレンズを使用すると良かったが、狭い建物の中心には、
仕切りがあり、それ以上後へは下がることが出来なかった。


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「左が8度傾斜し右側は5度傾斜した」

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崇聖寺三塔は大理古城の西北、蒼山の中和峰から、
1キロのところにあり、大理の古代文化のシンボルである。
中心の塔は唐開成元年(836年)に建てられた。
残る2つの塔は左右側共に宋代に建てられたが、
1996年の麗江大地震の折に、左が8度傾斜し、
右側は5度傾斜したと説明を受けたが見ても分からない。


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大塔は16階で高さが69mあり、
各階の間には仏像が埋め込められている。
三塔には百体の石仏があったということだが、
大戦や麗江地震によって、廟の建物自体も今では残っていない。
だが歩いていくうちに、それらしい建物の跡が見受けられた。


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「白族の女性が民族服あざやかに」

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こちら蝴蝶泉に着いた頃に、また雨が降り出した。
蝴蝶泉には一斉に傘の花が咲いた。
ツアーの一行と離れて、また単独行動に入った。
蝴蝶泉の左側の高台に、観泉亭という「あずまや」に、
白族の女性が民族服あざやかに語り合っていた。


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石に彫られた蝶泉勝景の漢字に魅了された。

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「蝶の舞う泉の畔で再会を約束する」

「中国上海写真ライフ」では、
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大理白族の女の子に蝴蝶泉の前で撮影した。
自然なポーズを要求したが、恥ずかしそうな表情が出ている。
この大理白族の「金花」や昆明「阿詩瑪」また麗江の、
「胖金妹」の女性の写真を撮るのはタブーとされている。
なぜなのかと聞いてみると、独身女性を故意に撮った場合は、
その女性と結婚しなければならないそうだ。


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春には蝶々が沢山飛び交うこの蝴蝶泉では、
中国映画「五人の娘」(五朶金花)1950年代、お祭で賑わう、
雲南省大理の街で白族の青年の阿鵬は、同じ白族の美しく、
可憐な少女金花と知り合いになり、蝶の舞う泉の畔で、
来年の再会を約束するという映画(1959年作)
この蝴蝶泉の周りには、当時の映画(白黒)のカットが、
展示されている。大理の少数民族を白族と呼び、
昆明はイ族、麗江では納西族と呼ぶ。


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「上が女性で下は男性の人形」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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蝴蝶泉で時間を使い過ぎたため、
東南亜原始部落の中は見ることが出来なかった。
仕方なく入り口の画像のみ納めた。
そして左右に掛けてある男女の人形に、
目が止まり近寄り撮影した。


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写真を見て直ぐ分かるが上が女性の人形で、
下は男性の人形で実に特徴を掴んでいると思った。


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「旅先から友人知人へ便りを出す」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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蝴蝶大世界の看板の前で撮影。
一人で自由行動の私は皆とはぐれ、更に時間の配分を誤った。
展示会場へも入る事が出来なく外観のみの写真となった。
そして、文学者であり歴史学者、政治家でもあった、
「郭沫若」の書いた詩を石碑にしてあった。


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「郭沫若」は1928年蒋介石の逮捕をのがれて、
日本に亡命したことは知られている。
「中国ひとりぽっち」の「中国歴史上の人物」より。
旅先から友人知人へ便りを出すことは記念になる。
蝴蝶の夢の郵便局でも、ここからハガキを出そうと、
若い人たちで賑わっていた。


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「中国国内販売らしくそれなりの品質」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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土産物売り場には、石を加工して作った壁掛けの、
装飾品が飾ってあったが、こんな高尚な装飾品を、
飾る部屋もないし、日本へ持ち帰るのも面倒な感じがした。
自然石を更に加工して展示してあった。
金額も3千元から5万元まで様々だった。


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民族服コーナーには、大理白族金花の、
娘たちが着る服装が展示してあった。
手にとって縫製の品質を見たが、
中国国内販売らしくそれなりの品質であった。


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藍色が鮮やかな、若い人から、
少し年配の人が着る民族服も販売していた。


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「色の使い方が実に華麗で斬新な感じ」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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大理大理天竜八部影視城中心の道路復興路を、
皆が待っている集合場所へ先を急いだ。
道路標識が目に留まり画像として収めたが更新していない。
大理街を越えるとすぐに待ち合わせ場所に着く事が出来る。
帰り道を急いで行くと「銀職人」の看板に引かれた。


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だいぶ大理天竜八部影視城入口の方へ戻ってきた。
その途中でもカメラのシャッターを切りながら歩いた。
この店は何処にでもあるような店だが、
大理という事も手伝い新鮮さを増していた。
「天竜女儿行」という店の名前もいい感じがした。
綺麗な柄の傘、観賞用の傘にも魅せられた。
色の使い方が実に斬新で華麗な感じで透明感が増していた。


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「人影のない大理影視城の城門」

「中国上海写真ライフ」では、
雲南大理の写真を公開しています。

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大理での第一観光箇所と言えば天竜八部影視城だろう。
写真は天竜八部影視城の城門である。
やっと出口まで来たが、今回は私が最後になってしまった。
時計を見ると約束の集合時間を15分も過ぎていた。
小走りにバスの駐車場を目指し、ふと振り返りざま、
人影のない寂しい天竜八部影視城を写真に納めた。


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影視城の外へ出てからでも、その姿をカメラに収めた。
小雨はまだ降っており、傘を差しながらの構図決め。
再度構図を考えていると中国人ツアー客達からは、
早く戻って下さいとの声が、聞こえてきた。
私を探しに来た人と共に観光バスの近くまで来た。
時計を見ると待ち合わせの時間から既に20分過ぎていた。
皆さんには丁寧に頭を下げた。


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大理白族金花が頭に被る飾り物である。「風花雪月」と呼ぶ。

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上の白い飾りが雪を表し、その下が花、飾りの形が月を表現し、
左の何本もの白い紐が、風を表現している。

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大理に建ち並ぶ家の壁には「風花雪月」と書かれている。
「風花雪月」を説明すると、大理から見上げる山を蒼山と呼び、
蒼山の裾野を駆け抜ける風、その風にそよぐ花、
蒼山には雪、そして耳海湖に写った月と説明してくれた。

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